散歩

日が落ちてから散歩始めました。どこに行くかは特に決めておりませんで、とにかく歩けるところまで歩こうと、それだけは頑なに信条に近い所に置いていました。運河沿いは、比較的街灯が少なく夜を歩くには丁度良いのでした。私はあまり真っ暗を好みませんが、あまりに燦燦とした絢爛な場も敬遠したくなります。これは散歩道にも自然と適用されるのでした。運河の水面は街の木漏れ日と表現したくなるくらいに適度な量の光が反射しているのです。歩く程に私の足には力が、勢いとして付いてきました。キュキュとスニーカーが石畳の路面を踏んで叩く音は、私の耳にはっきりと届いてくるのです。何丁来たのでしょうか、はっきりとしませんが運河に林立したレンガ造りの倉庫軍は、疲労を感じても良いくらいに離れたことを示しているように思えました。私は引き返す前にポロシャツの胸ポケットからタバコを取り出しました。呼吸は多少の荒さがありましたが、タバコを吸うには寧ろ丁度良いと思えました。運河沿いの一メートル程の柵越しに肘を擡げて火をつけました。吸い終わるまで5分程だったでしょうか。ひっそりとした夜のしじまを縫うように星が落ちては来ませんし、微弱に吹く潮風は汗ばんだ体には爽やかではありませんでした。そうしながら黙と吸いつづけ、最後に運河に向けて吸殻をひょいと投げ入れた時でした。水面がゆらっと泡だったような波立ったような具合に白濁として、そこから棒状に何かが突き出ました。それがはっきりと何かは最初、判然としませんでした。スウっと泡だった所に突き出ていたので非常に存在感がありました。これを目の錯覚とすることは到底考えられない程、それは揺るぎない何かでした。私は忽然と現れたそれが、いつ消えたのかを認識することは出来ませんでした。まさに知らぬまに消えたのです。はっきりと見つめていながら、それが何かと認めることもそしてどこへ行ったのかも判りませんでした。私が自分のアパートに帰る道程で一軒、慌しくしていた家があったのを覚えています。よる夜中に、そうそう人があれこれ出入りするというようなことは、この界隈では珍しいのでよく覚えていました。後日、出勤前に私が身支度を整えて新聞の朝刊をハラハラ捲っていると、町内で溺死した少女があったことを知りました。遺体は既に発見されておりそれは運河から見つかりました。運河のどの辺かまでは書いておりません。少女は遊んでいるところ誤って転落したのでした。私が見た何かとその少女が遺体となって発見されたのには、かなりの時間的開きがありましたので、事実上まったく関係のないことなのでしょうが、私は私の感がべったりと纏わりつくようにして自分を支配していることを今も否定できないで居るのです。